英訳者歴23年。
私がいかにして技術英訳者になったかを時系列に少しずつ書いてみたいと思います。
中学生時代から英語が大好きだった私。
大学は学芸学部英米文学科。バリバリの文系。
将来は通訳になりたいな、と漠然と思っていました。
大学2年生の夏休み、1ヶ月間、カリフォルニア州サクラメントへの短期留学ツアーに参加しました。
この時知り合った現地の方々のご縁もあり、大学4年生の夏から2年間、日本の大学を休学して、Sacramento City Collegeという2年制のコミュニティカレッジに留学しました。
本当は4年制の大学に編入したかったのですが、私が通っていた大学が比較的小さかったため、単位が認められず、4年も留学するつもりがなかったので、この大学を選びました。
当時はインターネットなんてあるはずもなく、大学や、Sacramentoの知り合いとのやりとりはすべて郵便。留学斡旋エージェントは使わず、すべて一人で手続きを行ったので本当に大変でした。
でもそれくらい一人でできない人間が、一人アメリカでやっていけるはずがない、と思っていたので、とにかく無我夢中でした。
Collegeに入学してみると、日本人学生が複数いたのですが、私は絶対に日本語は喋るまい、と心に誓っていたので、”I’m Chinese.”で通し、2年間、ほとんど日本語を喋りませんでした。
2年間のSacramentoでの生活、本当に色んなことがありましたが、ここでは割愛します。
また機会があれば書いてみたいと思います。
Collegeを卒業して帰国。日本語を喋っていなかったので、帰国したばかりの頃は独り言も夢も英語でした。(今ではほんとに喋れなくなってしまいましたが💦)
9月から日本の大学に復学し、就活を始めました。
当時は総合職というカテゴリーができたばかりでしたが、まだまだ女性はサポート役というイメージ。
アメリカに留学して、同学年の子たちより2歳も歳を取った私を取ってくれる会社など、中々ありませんでした。
今でも覚えているのは、親戚のコネで受けた大手の貿易会社の面接で
『女性は30歳になったら辞めていただきます。』
とはっきり言われたときは愕然としました。
大学も実家も関西だったので、当初は関西で就職しようと思っていたのですが、思い切って東京に出てみよう!そう決意しました。
そんなある日、日経新聞の求人欄をチェックしていたところ、
東京にある会社が『来春新卒生の通訳』を募集していることを発見!しかも仕事をしながら通訳学校にも通わせてくれるらしい。
そしてそして、この会社、私のアメリカでのルームメイトが勤務していた会社!!!
これは絶対にご縁があるに違いないと確信し、早速応募したところ、トントン拍子に入社が決まりました。
こうしてめでたく就職が決まった私。
卒業論文を書き終え卒業式も無事終えたあと、
『前任の通訳が辞めててんてこ舞いだから早く来て欲しい』
という会社からの要請で、3月から入社することになりました(新卒はみな4月入社なので、3月いっばいはアルバイトで)。
こうして、私の通訳者の卵としての生活が始まりました。
〜つづく〜