通訳として採用された会社は、外資系の保険会社。
私の仕事は、米国人取締役Kさんに関わる通訳・翻訳業務を、先輩通訳のAさんと手分けして行うこと。
仕事内容の詳細は以下のとおり。
①役員会議、営業統括会議、営業会議など、週3〜4回ある会議でのウィスパリング通訳(K取締役の斜後ろに座ってほぼ同時通訳)、および、個別の打ち合わせでの逐次通訳。
通訳のイロハを何も知らない私が、いきなり会議に放り込まれました。保険会社の業務もまだよくわからないし、会社の内情も何もわからないので、日本人が何を言ってるのかさっぱり理解できません。
口をパクパクしてるだけで初日の会議が終了。
優しいK取締役は”It’s OK!”と、先輩通訳のAさんは、『大丈夫!慣れればできるようになるから』と言ってくれましたが、いやいや、もう無理無理無理…💦
でも、結局これから半年後、私はそれなりに通訳できるようになっていました。慣れとはおそろしいものです。
通訳学校も、日常の業務が忙しすぎて欠席ばかりで、結局半年通って辞めてしまいました。
②会議で使用する資料の英訳。
会議で使用する資料は企画室というところが取りまとめて私たちに渡してくれるのですが、なにせ、外国人はK取締役一人だけだし、翻訳の時間など考えてくれないので、ぎりぎりまで出来上がりません。なので、直接、資料を作っている社員の方に『まだですかー?』『あとどれくらいですかー?』『は、早ください!!!』と催促して入手。
それでも間に合わず、会議が始まって先輩Aさんが通訳してる間に私が翻訳して、その議題の直前にササッと届ける、というようなことがしょっちゅうでした。
当時はパソコンなど使うわけもなく、日本人の作成する資料はすべて手書き。その日本語原稿の上に薄めの紙を置き、シャーペンで表の枠や図をなぞって、そこにタイプライターで英訳を入力して行きます。時間のないときは、原稿の日本語の下に英訳をタイプ。今では考えられない作り方です😝
③K取締役と一緒に保険代理店(あちこちのスーパー◯友の中にありました)の巡回をして営業社員の研修や打ち合わせの通訳。
東京に出たばかりでしかも方向音痴の私と、日本語がほとんど喋れないK取締役との珍道中😝
どうやってあちこちの代理店に辿り着いていたのか、全く思い出せません😓
④K取締役が出席する食事会への帯同。
K取締役行きつけのアメリカンクラブで食事しながらの打ち合わせや歓談に、通訳としてよく帯同しました。普段なら入れない場所なので、毎回行くのが楽しみでしたが、食事しながら通訳しないといけないので、私だけ、噛まなくても食べられるようなものしか注文できず😝
この他に、時々アメリカの本社からやって来る役員たちへの対応や、K取締役が読むための新聞記事の英訳などなど、とにかくやることが山のようにあり、私は精神的にも肉体的にもどんどん疲れて行きました。
この会社に就職して5年経ち、とうとう私は疲れ果て、別の仕事をしたいと希望して、通訳・翻訳の仕事から、別の部門の事務の仕事に移動させてもらいました。
そして2年後、妊娠し、妊娠8ヶ月で会社を退職。
(企画室にいた今のダンナと入社3年目で結婚しました。)
とにかく仕事に疲れていたので、専業主婦になる道を選びました。
〜つづく〜