日英翻訳者 Kazuki のあれこれ

英訳一筋20年、日英翻訳者 Kazuki の日々のあれこれです(^^)

技術英訳者への道〜マニュアルライターから社長に〜

専業主婦になった私は、無事第一子を出産👶

そしてその一年半後に第二子を出産👶

年子の娘の母親となり育児に追われる毎日💦

社会から取り残された感が半端なく、日に日に育児ノイローゼっぽくなって行った私を見かねて夫が

「仕事した方がいいんじゃない?」

その言葉に後押しされ、仕事探しと保育園探しを開始❣️

ほどなく新聞の求人広告で英文マニュアルライターの仕事を見つけ、3歳と1歳半の娘たちを保育園に預け、ワーキングマザーの生活が始まりました。

職場は自宅から車で15分ぐらいのところにある某大手通信機器メーカーの事業所🏢

私の仕事は、技術者さんが作った日本語の仕様書を元に、電話交換機の英文マニュアルを作ることでした。

今思えば、この時の経験があったからこそ、技術者さんの摩訶不思議な呟きのような日本語を訳すのが今でもそれほど苦にならないのだと思います。

この会社には5年ほどお世話になりましたが、電話交換機のマニュアルの仕事が段々と少なくなり、当時は請負契約の社員だったこともあり、転職を決意‼️

その後、派遣社員として小さなマニュアル製作会社に英訳者として派遣され、半年後、また別の某大手メーカーに派遣されることになりました🏢

ここではプリンターやFAX、複合機などのマニュアルその他の技術文書、プレゼン資料、メールなど、ありとあらゆる文書の英訳に携わりました。

この時の仕事が、今の私の仕事のベースになっています。

こうして派遣社員として仕事をしていたのですが、子育て中の私は保育園や学童に子供を迎えに行かなくてはいけなかったので残業ができず、その分、物凄いスピードで仕事をこなしていました。タイピングの速さも誰にも負けません。今でもかなり早い方だと自負しています!!!

しかし、仕事をやればやるほど、周りでのんびり仕事をして残業してる人の方がたくさんお給料をもらっていることを段々ストレスに感じ始めた頃、同僚の翻訳者に

Kazukiさん、独立したら?」

と勧められました。この同僚、女性の心をもった男性💕(なぜか私はこのタイプの人といまだに縁があるのですが)で沖縄の米軍基地で育った面白い経歴の持ち主。

日本語より英語の方が得意な人だったので、この同僚にはずいぶん英語を教えてもらいました😀

彼はどうも自分がフリーランスになりたかったようなのですが、色々と事情があり、代わりに自分の夢を私に託す?みたいな気分だったようで、熱心に色々と相談に乗ってくれました。

ところが、フリーランスになる、と言っても、翻訳会社から仕事を受けるのではなく、そのままその大手メーカーから仕事をもらいたかったので、個人事業主ではなく会社組織にする必要がありました。

そこで、私に翻訳を出してくれていた部署の方々とも話をし、独立しても仕事を出してくれることを確約してくださったので、思い切って有限会社を作ることにしました。今思えばずいぶん思い切ったことをしたもんです😳

(有限会社設立の手続きは、夫に手伝ってもらいました。彼は普通の会社員ですが、その辺の知識も結構あり、今でも確定申告諸々は全て夫に任せています。)

そしてとうとう私は社長になりました❣️

もちろん社員は私だけですが。

会社組織にしてからは順調に案件を受注し、大手メーカーの別会社の翻訳部門からも受注。

そんな状態が5年ほど続いた頃、あのリーマンショックが起こります💧

 

〜つづく〜